会報誌(DDKだより)

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2003年04月発行 第107号 DDKだより

巻頭言:何かがおかしい・・・

石田 仁


  戦争が始まった。世界中の反戦のうねり(122か国が戦争反対、米国内でも160の都市が反対決議)が安全保障理事会における平和的解決の努力と伴に今回は戦争をストップさせるかと願っていたのに。米英による一方的なイラク空爆となった。
 戦争で死ぬのは兵士だけではなく、その国の普通の人々である。現に他国のバスが攻撃されたり、民家に誤爆があったりと市民に相当な死傷者が出ている。だから、無条件に反対である。武装せず、国連を中心とした国際協調で新しい国際関係を作りだす崇高な理想はどこへ行ったのだろうか。「同盟国アメリカがいるから日本は他国に攻撃されない」と嘯く小泉総理は本当に国益を考えているのか。見識のなさが悲劇を招く。
 報道がひどい。新聞もテレビもアメリカ側からの一方的な報道が多い。開戦までは「新たな国連決議」がなければ戦争は許されないと言うルールがいつの間にか戦果の報告と成り果てている。これがまさしく「大本営発表」であろう。当局の側にのみ立つ報道はもはや報道の名に値しない。
 3月20日に中央教育審議会(中教審)が教育基本法の「改正」を答申した。「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」の観点から改正すると言う。今の理念ではたくましい日本人は育たないから公共心や伝統・文化の尊重、愛国心を新たに謳う必要があると。
 確かに学校には問題が多い。いじめ、不登校、学力低下、学級崩壊等あげたら限がない。現象面では思いやりや公共心の低下も原因であろうが、社会環境が大きく影響している。むしろ「ゆとり」教育の弊害による学力低下の方が深刻だ。台形の面積の公式は教えず、三角形の公式しか教えない。あとは興味のある子が自主的に考えて学べばよいとする「指導要領の方針」がある。条文に愛国心等を書き足している場合ではない。そもそも基本法は戦後、国の教育内容への干渉を徹底的に排除することから誕生したものである。実際にもその事を意識して個人と国家の関係に配慮している(※)。誰も心豊かでたくましい日本人には反対しまい。だが、ことさら愛国心等を謳うことにどんな意味があろうか。
 報道もしかり、教育もしかり何かおかしい。 ※教育基本法第1条(目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身とともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。