会報誌(DDKだより)

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2004年09月発行 第124号 DDKだより

巻頭言:「立てなくなるから自分で立て」というが

石田 仁


 ほとんど歩けない老いた母は、週に3回、デイサービスを受けている。帰省の日にセンターの送迎車が帰ってくるのに遭遇した。前の方で帽子を目深にかぶった母が見えた。思ったより元気そうなので一安心。あんなに入所するのを拒んだ母が「楽しい。お昼も美味しいし、おやつも出る。お風呂にも入れてもらえる。」と答えたのにはびっくり。 
 実際に肉親が介護保険の世話になってみると「ありがたい」と心の底から思わずにいられない。家族だけの介護から社会も面倒を見るシステムへの転換。負担もあるので奇麗事では済まないと思っていたが、今更「制度」のすごさに驚く。自宅にいれば、三度の食事やトイレにも介護がいる。その度合いは日々高まっている。つけっぱなしのテレビを見て、時間を費やす毎日より、仲間や職員がいて、小さい子供達の声が聞こえる賑やかなセンターの方が「生きている」ことを実感するにちがいない。できればこの時間が暫く続いて欲しいと願う。 
 雲行きが怪しい。財政制度審議会の「建議」で社会保障費の抑制が最大のテーマとなっており、真っ先に介護保険制度の見直しが登場。今秋にも法案が提出され来年度から実施されるという。現行の利用者1割負担は低すぎ、介護保険料を拠出している若年層の医療費3割負担と著しく均衡を失するからだという。その結果、利用者の負担割合を3割に引き上げ、利用頻度の高いデイサービス等、軽度の要介護者へのサービスを廃止しようとする動きである。要するに「立てなくなるから自分で立て」という自己責任論である。家族の力を借りなければ立てないからサービスを受けているにもかかわらず。 
 アテネでのメダルラッシュの最中、地方財政の「三位一体改革」(国庫補助金廃止・縮小、交付税の縮減で地方へ税源委譲するという小泉改革)に基づき、2年間で3兆円余りの国庫補助金の削減が「承認」された(8月19日全国知事会採択)。その大半は小中学校教員の給与である。地方財政力の差が義務教育の格差を生む。憲法問題になろう。 「官から民」への流れが福祉や義務教育に及べば、一体誰が幸せになるのだろうか。