会報誌(DDKだより)

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2010年09月発行 第196号 DDKだより

巻頭言:「ゲゲゲの女房」から~私達はどんな社会をのぞむ~


石田 仁

おもしろいので、毎日「ゲゲゲの女房」だけは欠かさず見るようになった。今、どの会合に出ても、「見ているか」が合言葉である。7月上旬までは、来る日も来る日も貧乏と不幸せの連続で、画面に貧乏神が出没。心ならずも視聴率が下がるのではと心配していた。ここへ来て、悪魔くんが、鬼太郎がヒットし、劇中のテレビでも放送されるようになり、水木しげるは大ブレーク。元気を貰い、安心して見ていられるのである。
今のところ、東京オリンピック以降、高度成長が続いている時代を背景にしており、私達やその前の世代の青春時代の郷愁にもなっている。まさに「努力すれば報われる時代」を謳っていると思うのである。
翻って、ここ20年も打ち続く超低成長は、経済的には、ゼロ成長時代への突入とも言われているが、激しい格差の発生で従来の人間関係や組織・社会が分断されてきた。  
これ以上成熟した経済社会は望むべくもなく、ペースダウンした社会で各人が資源や環境に配慮し、どのように幸せに暮らしていけるかが問われている(「持続可能な福祉社会」ちくま新書、広井良典著)。だが、そうすることは、なかなか、難しい。
「どんな社会にしたいのか」を国民みんながイメージし、「覚悟」も必要である。おりしも、前経済政策担当大臣の講演を聞く機会があった。未だ「イケイケ」路線で言葉の端々に、日本経済のIT化とグローバル化の遅れを指摘し、挙句の果て、「商店街が廃れたのは、消費者が喜ぶような商品を売っていないからだ」と結んだ。
多くの商店街が大型スーパーや車社会の発展に取り残されたのは事実だが、IT化が生き残る術とはとても思えない。むしろ「ゲゲゲの女房」の時代にキラキラと輝いていた家族、街としてのコミュニティ機能を取り戻す視点の政策が欠けていたように思う。
高負担ではあるけれど老後の心配のない社会?  あるいは、「誰もが努力すれば報われる」自由な社会?  いずれにしても、急激な格差社会の是正は、これまでの福祉社会とも異なり所得のみならず、資産の再分配が公平になされなくてはならない(前掲書)。
そろそろ知恵を絞らなくては。