会報誌(DDKだより)

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2011年08月発行 第207号 DDKだより

巻頭言:原子力政策は国民の意思を問うべき



富塚 孝

8月は日本人にとって過去と現在と未来とを考える時である。それは広島と長崎の原爆忌、15日の終戦記念日があるからである。今年は特に大震災と原発事故が大きな現実として重くのしかかっている。
原発も原爆もその原理は同じである。核分裂エネルギーを瞬間的に発生させれば原爆であり、核分裂エネルギーを熱エネルギーに徐々に変えて水を沸騰させ、発電タービンを回して電気を起こせば原発である。原爆は一瞬にして10数万人の命を奪った。生きった残った人も原爆症で今も苦しんでいる。
福島原発は大地震と大津波によりメルトダウンを起こしていた。水素爆発と冷却システムの崩壊で大量の放射能がまき散らされた。この事実は3月11日から数日も経たないうちに政府は知っていたのに情報を出さなかった。政府はこの放射能汚染が直ちに健康に影響をあたえるものではないと再三言っているが、信じてよいものだろうか。原爆のように大量の放射能を浴びたら即死する。わずかな放射能汚染物質であっても内部被曝を重ねれば下痢や発熱、倦怠感が表れ、癌になる確率が高まり、遺伝子への影響は子孫にどのような結果を及ぼすか想像すらできない。
日本は2度の原爆投下とビキニ水爆実験による死の灰を経験している。放射能汚染の恐ろしさを忘れてはなるまい。原発が危険なのは、地球では自然に起きない核分裂という物理現象を利用していることであり、これによって発生する放射能をコントロールできないところにある。東電も経産省もコントロールできるから原発は安全だと宣伝し続け、われわれも安全だと信じてきた。
ところが、今、安全ではないという事実がわれわれの眼前にある。電力を十分に供給するために危険極まりない原発を使い続けるのか、これを減らし、やがてはきっぱりとやめるのか、答えを出すべき時だろう。ドイツとイタリアが脱原発を決めたからではなく、日本国民が自らの議論の結果として堂々と原発をやめる意思を示す時であると思う。