会報誌(DDKだより)

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2012年07月発行 第218号 DDKだより

巻頭言:これでいいのか国会事故調



河原 八洋

先日、東京電力福島第1原発事故の真相究明にあたっている国会事故調査委員会の中間報告があった。
その中で菅総理が事故直後に現場に行った事や、官邸が東電本社の頭越しに現地に問い合わせをしたことが、現場を混乱させ、対応を遅らせただけで「緊急時に国家のトップが取るべき行動ではない」との批判があった。マスコミも概してそのような論評が多い。
しかし、私はそれには少し違和感を覚える。
これは全く想定されていない事故への対応であり、非常事態での対応である。
想定されていないこと自体が大問題であることは後で述べるとして、かつてペルーの日本大使館が武装勢力によって占拠されたとき、時の大統領だったフジモリ氏は、防弾チョキにピストルを片手に現場で指揮を執った。ロシアで、ゴルバチョフ大統領が軟禁されたクーデター未遂事件の時は、後に大統領になるエリツィン氏は戦車の砲台の上で指揮した。
一歩も引けない国家の危機に当って、トップが取るべき行動はその様でなくてはならないと思うからである。もしあの時、官僚から上がってくる情報を待っていたなら、とんでもない事態になっていたことは想像に難くない。
つい最近明らかになった、在日米軍からのモニタリングデータは、文部省や経産省安全保安院に伝えられても無視され活用される事はなかった。文部省は独自に200億もの予算をかけ、SPEEDIなるものを持っていても、そのデータを発表するどころか、内部で活用もしていない。当時情報が少ない中、右往左往させられた福島県民の怒りは収まらない。
東京電力においては、『全面撤退』ではなく、『10人程度を残しての退避』だったと報告している。通常数百人で運転しているプランを10人程度残して何をしようと考えたと言うのか。10mを超す津波による全電源喪失という想定は過去に2回も具申されたという。これを全機関で無視し、電力料金という税金を分け合って優雅に生活してきた【原子力村】の責任は大きい。
故郷を着の身着のまま追われ、未だに帰れない人が9万人もいるというのに、罰せられる人は1人も居ない。ここを追及しないで何が事故調だというのか。1億総懺悔のかつての戦争責任と同じにしてはならない。