会報誌(DDKだより)
DDK Newsletter
2016年01月発行 第260号 DDKだより
巻頭:手渡して行きたいもの
椎名 敬一あけましておめでとうございます。皆様には、平成28年元旦を心新たにお迎えのこととお喜び申し上げます。
私たち日本人は“お正月”を昔から大切にしてきました。“お正月”は一年で最も大きな行事です。また、この時期には日本人独特の宗教観が、色濃く表れていると思います。つい一週間前にクリスマスを祝ったかと思うと、大晦日は除夜の鐘を聴き、初詣に行く。世界の宗教による悲しいニュースを耳にするたびに、日本人の寛容な宗教観には何ともほっとさせられます。
私が小学校1年生の時分にタイムスリップしてみましょう。昭和40年12月31日大晦日。家族皆で正月の支度。お正月は私たち子供にとって何もかもが特別でした。普段、仕事で忙しい父が家族と一緒に過ごしてくれていました。「忙しい。忙しい。」と言いながらも、どこか嬉しそうにおせち料理を重箱に詰める母。ちゃぶ台、年越しそば、のしもち、紅白歌合戦、美空ひばりの歌声、除夜の鐘、ゆく年くる年。そしてテレビ放映が終了して、静かな夜…。
元朝はいつもより早く起こされて、着物姿の父が神棚にお神酒を上げたり仏壇にお供えを上げるのを手伝い、皆でお参りをします。子供の私もまね事のお屠蘇で一年の無病息災と新年を祝い、伝統的なおせち料理とお雑煮での朝食。待ちに待ったお年玉。よそ行きの格好で、晴れがましくお墓参りと初詣に出かけ、見よう見まねで柏手を打ちました。
聞くところによると、お正月は家に“歳神様”をお迎えし、祝う行事ということです。私たちの祖先はアニミズム的な思想背景を持ち、森羅万象に神を見ていました。家を守護する先祖の霊も、農作を守護する田の神も同じ神様で、その神様が一年の初めに、“歳神様”としてやって来てその年の作物の豊穣と家族の無病息災を約束してくれるという話です。門松や鏡餅はこの歳神様をお迎えするためのお飾りなのです。このおおらかな民間信仰と仏教的なご先祖様への祈り・・・何の不思議さもなくこれらが私の中に共存しています。
当時の正月三が日。街は時が止まったかのように静かで、スモッグの消えた青空の下、家々では清々しく“歳神様”をお迎えしていました。
時代は変われど、平和で穏やかな習わしは次の代にも手渡して行きたいものです。