会報誌(DDKだより)

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2016年04月発行 第263号 DDKだより

巻頭:原発事故によるふるさと喪失に思う


亀井 賢伍

福島原発の事故から5年経ちました。被害は筆舌に尽くしがたい苦しみをもたらしました。からだ(健康)、くらし(生活)、こころ(精神)の全面にわたる苦しみは今なお持続しています。今回は、ふるさと喪失について考えたいと思います。
 先月NHKテレビで「被曝の森」「赤宇木」などのドキュメンタリー番組を観て胸が痛んだからです。

 私は、広島の山村で育ちました。敗戦時、電灯がない集落があったほどの辺境です。四季折々の自然は美しく、子供を大切にする教育熱心な村でした。冬場は、お母さんたちが交代で学校に来て味噌汁を作ってくれました。
 子弟が都会(まち)に出るときは、大抵は「『背戸』(せど、うらぐち)は開けておくから」と言って送りだしたものです。
 ふるさとは、そこに暮らす人々にとっては、生活・生業の基盤であり、異郷にあっては懐かしく、折に触れ癒し励ましてくれる風景です。時には生きる道を正してくれる拠りどころです。盆に多くの人が帰省するのは単に義理や習慣だけではないでしょう。まこと「ふるさとの山はありがたきかな」(啄木)です。ふるさとがなくなることなど思いもよりませんでした。旧い世代の感傷でしょうか。

 科学先進国ドイツは福島の事故のあと脱原発に舵をきりました。一方、過酷事故を起こした当事者であり「唯一の被爆国」且つ地震大国である日本は、原発をベースロード電源と位置付け再稼働させました。運転期間40年超の原発の稼働も折りこみ、そのうえ原発輸出まで目論んでいます。真逆の対応に驚きます。

 被爆者は、過ちを繰り返さないため核兵器廃絶を訴えています。同様に原発被害者も心底原発ゼロを願っています。
 愛媛県の伊方原発訴訟原告団は「今だけ、金だけ、自分だけ」の価値観の転換を呼びかけています。後世に負の遺産を残さないためです。故郷の瀬戸内海を死の海にさせないため私も協力しています。