会報誌(DDKだより)

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2016年09月発行 第268号 DDKだより

巻頭:戦後復興期の高校生活 ━本を集めて自転車行脚━


亀井 賢伍

戦時下の中学時代については何度か書いてきました。軍国主義教育、勤労動員、さらには後輩である広島2中1年生の建物疎開作業による原爆死などです。
 今回は、戦後復興期と重なる高校生活を紹介したいと思います。私は1948年に中学(旧制)を5年で卒業しました。その年学制改革があり、同級生の大半は新制高校3年生に移行しました。私は1年遅れて翌年自宅から通学できる高校の3年生に編入しました。    

 この高校の前身は、1946年に農学校として開校したばかりの学校で3年生が第1期生でした。生徒数は少なく3年生は3クラス合わせて42名でした。〔注〕
 施設も未整備で、授業のほかに作業もありました。数学の先生が“とはまほし おいこ姿のおしえごに ふみよむひまのありやなしやを”と詠んでいます。卒業式にもらった表彰状は次の通りで当時の模様を物語っています。
 「・・・常に質実剛健なる校風の樹立に率先垂範し且つ各種の隘路を克服して校内の施設の充実に協力する等建設途上に於ける本校の進展に寄与した功績はきはめて大・・・」
 「施設の充実」については、自転車で本を集めて回った記憶が鮮明です。当時図書室はありましたが蔵書は乏しく生徒の読書欲を満たすには不十分でした。そこで地域の家庭に「眠る」本を活かすことを思いつき即実行しました。夏休みを利用して3年生の仲間数名が自転車で区域内の十数軒のお宅を訪問し趣旨を訴え協力をお願いして回りました。百冊余りの本が集まりました.これらの本が読書への関心を高める契機になったと思います。隔世の感のある話ですがこれも戦後教育史の一齣です。

 1年間の在籍でしたが密度の濃い歳月でした。首都圏に住む卒業生の会の世話役を数年前までしていましたが,年に1度の同窓会で、会員が土の匂いを漂わせながら夫々の持ち場で存在感ある生き方をしている姿に接するのを楽しみにしていました。
〔注〕普通科14名、農業科20名、家政科8名