会報誌(DDKだより)

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2016年12月発行 第271号 DDKだより

巻頭:列島と半島の長い長い交流の歴史


大野 幸則

仕事柄、日本全国各地を訪れます。
 1980年頃ですが、青森の喫茶店で仕事を片付けていました。賑やかにおしゃべりしながら数人のご婦人達がやってきました。耳に入ってくる会話が、まるでわからないのです。「ああ、ジャパゆきさん達か」と勘違い。その昔、東南アジアからの出稼ぎの女性をそう称していたからです。
 地方で出会う話しぶりは、片言がわからないことは良くあることですが、全くわからない。そうか津軽弁!
 これと似た体験は沖縄でした。ウチナーグチ(沖縄語)も、おばあの話は全くわかりませんでした。文字で書くとわかる言葉もあります。例えば地名でハエバルは南風原、コチンダは東風平、「東風(こち)ふかば においおこせよ梅の花……」平安時代の言葉が残っているのです。
 奇しくも青森と沖縄になりましたが、太い眉、彫りの深い「濃い顔」という両県の共通項もあります。いきなり話は飛びますが、それらの県の多くの人は縄文人の血を濃く引いていると言われます。ちなみに私は東京・中野の農家の出、「薄い顔」です。眉が薄く割と扁平な顔立ちです。弥生人の血を濃く引いています。元々縄文人が住んでいた列島に、半島を経て渡来してきた人々が、代を重ねて東へと広がり今日に至っているといいます。天皇家も半島にその祖があると言明されたことも記憶に新しいことです。
 先日、埼玉県日高市にある高麗神社を30年ぶりに訪れました。高麗郡・高麗神社が出来て1300年の祝祭が今年行われているからです。続日本紀に、この高句麗の王族若光と高麗人達1799人を移住させ、高麗郡としたという記録が残っているわけです。関東には当時の痕跡が残されています。地名でいえば大磯、狛江、志木等。新羅郡も置かれたのですが、新座郡となり今の新座市です。私が住んでいる街というのも不思議な縁を感じます。
 日本書紀の中に素戔嗚尊(すさのおのみこと)が朝鮮からやってくるという話は有名です。関西には多くの痕跡が残っていますが、奈良周辺では渡来人が多く住んでいて、新しい文化形成に大きな役割を果たしていたことは周知の事実です。今の韓国語でもナラは国という意味です。
 私の所属するオペレッタ劇団ともしびは、レパートリーとして韓国・朝鮮の民話をオペレッタ・音楽劇「金剛山(クムガンサン)のトラたいじ他」として30年間公演を続けました。5回ほど韓国から招聘され、韓国各地で公演をいたしました。伝統的・民俗的な楽器・様式を使い演じたこの作品は、韓国でも高い評価をいただきました。ここで使われた伝統的な楽器の一つ一つに、今の日本の和楽器がとてもよく似ていることも驚きでした。これらを踏まえて、第2弾の「トラの恩がえし」公演も今年から始まります。
  半島と列島は長い文化的・人的交流の歴史があります。今、日本に嫌韓国、嫌中国の風潮が強まっていることにとても懸念を感じるこの頃です。戦前の植民地支配・戦争への道の過ちを繰り返さないためにも、互いを理解し合った、政治に振り回されない、庶民レベルの交流・友好を深めていきたいと願ってやみません。