会報誌(DDKだより)

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2017年09月発行 第280号 DDKだより

巻頭:核兵器禁止条約の採択に際して


亀井 賢伍

 引き続いて、このテーマについて書くことには、ためらいがありました。慎みが足りないのではと自問しました。一方、この時期にこそ感想を述べないのは不自然だとの思いもつのり逡巡の末、ペンをとりました。

 7月7日、核兵器禁止条約が、国連会議で採択されました。人々に訴えながらも、自分の目の黒いうちは無理だろうと、昨年までひそかに思っていた課題が眼前で実現したのです。気分が昂揚し「生きていてよかった」と感じました。
 個人的に格別の思いがあります。半世紀前、「被爆者救援6・9募金」を職場内で行った廉で、出勤停止3日間の懲戒処分をうけたことです。終身雇用制下のサラリーマン、妻と小学生2人の家族を抱え並みでない葛藤がありました。でも覚悟を決め、同僚や、転勤先各地の被爆者に励まされながら今日まで生きてきました。それだけに胸に迫るものがありました。

 今回の歴史的壮挙に際し、感じたことを挙げてみます。
 1つは、歴史の動きです。歴史は、ときに劇的に展開するものと知ってはいましたが、自身も主体的に関わってきた問題が、急転「決着」したわけです。歴史の醍醐味を感じました。
 2つは、主役の交代です。会議を主導したのは、一部の大国でなく、多数の諸国政府+市民社会でした。また、被爆者の発言は魂に響いた、道理(理性)と魂(ハート)が結びついて力になった、と評されました。議場に親しい友人、知人の姿をみて会議を身近に感じ嬉しく思いました。
 3つは、運動する側の変化です。
 若い人、女性の参画が目立ちました。署名運動のリーダーは被爆3世です。市民の自発的参加もあり、発想、活動形態が新鮮且つ多様となりました。

 さて、今回の禁止条約採択はゴールではありません。目標は核兵器廃絶です。まさに「終わりの始まり」です。これからも核なき世界をつくるため、老骨に鞭打ち「公共の良心」(条約前文)の役割を担い続けたいと思います。