会報誌(DDKだより)
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2018年02月発行 第285号 DDKだより
巻頭:今でも感謝されている日本の統治政策?
河原 八洋昨年8月3日から社員旅行で2回目になる台湾に行って来ました。ツアーの自由時間を使って、完成して85年を過ぎた今でも、地域の方から尊敬され、感謝されている日本人がいると聞いて、私と3人の社員でその方(銅像)とその方が10年を掛けて造った施設を見に、日仏合作の台湾新幹線に乗って行って来ました。それは台南市の外れの山岳地に有り、サンゴのように入り組んできれいな形をした湖「鳥山頭ダム(ウサントウダム)」です。造ったのは金沢市出身の土木技師「八田與一(ハッタヨイチ)」さん。
このダムは作物の育たない広大な荒れ地の潅漑用に造られたもので、貯水量は黒部ダムの80%程度、当時としては東洋一の規模だったそうです。それゆえ当初現地では八田技師の計画は規模が大きすぎて、実現不可能と思われ、「大ぼら吹き」と言われ信用されなかったそうです。国会でもなかなか予算が認められずに何度も関係者に掛け合い、苦労されたことが記録に残っています。当時の作業は現在のように機械化されていないので、毎日2,000人の作業員が1920年から10年間登用された大工事で、事故により亡くなられる方も出ています。八田技師はその様な作業員とその家族のために、宿舎から病院や学校まで建て、1つの町にして、安心して働ける環境を作りました。今風に言うと『働き方改革』に成ります。ダム建設は完成後この地を潤し、当初の目標だった作物栽培を倍増させた功績だけでなく、作業員の働く環境も考えて手を尽くしたことが、今日八田記念館を建て、湖畔が見渡せる小高い丘に八田さんの銅像を建立して、さらに毎年墓前祭を行って感謝されている要因だと思いました。世界遺産と成った現在では、湖水に遊覧船が往来し、レストランやバーベキュー施設キャンプ場もあり市民の憩いの場になっています。
2年ほど前に「海の向こうの甲子園」という映画が話題になりました。1931年台湾の「嘉義(カギ)農林高校(略称KANO)」が甲子園で決勝戦まで勝ち進む感動のドラマですが、この舞台に成った所はダムの近くの町で、出場がダム完成の1年後というのも偶然ではないと思います。
台北の中心部には電柱がありません。ガイドに聞いた話ですが後藤新平さんが市長の時の政策で電線を地中に埋めたそうです。今日の東京を考えると先見の明があったと思います。日本の統治政策は、中国や朝鮮半島では失敗して傷跡を残していますが、台湾では大きな功績を残し喜ばれています。その差はいったい何に寄るものだったのでしょうか。