会報誌(DDKだより)

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2018年10月発行 第293号 DDKだより

巻頭:ちょっとした発見・思いつきの喜び


大野 幸則

 「鉄ちゃん」が増えていることを感じます。私自身さほど興味はありませんが、子どもの頃は、腕を脇の下に付けて動輪と連結棒をまねて「シュッ シュッ ポッ ポッ」と遊んだことが思い出されます。もう一つは切符です。切符には行き先が印刷され、番号、日付も記されていました。その4桁の番号を使って遊ぶのです。例えば『1234』の番号、4つの数字を全部使って、1回のみですが、加減乗除して【10】にするというものです。
 最近は高速道路で渋滞しているときなどに暇つぶしで遊びます。前の車のナンバープレート『7159』は9-5-1+7=10、『2806』は何通りかありますが、それを発見(ちょっとオーバーですが)した時はちょっとした喜びです。隣の追い越し車線の車が動いていく時は、数字を記憶して計算します。如何ですか。渋滞時は走行車線を!と言うことを聞きかじり、追い越し車線のさっき覚えたナンバーの車を、走行車線で追い越した時などはちょっと爽快感に浸ります。    
 最近の自然災害の報道で、瀬戸内海や溜め池が伝えられます。私の時代は地中海気候と呼ばれ、雨の少ない温暖な地域として小豆島のオリーブは有名でした(今では日本に地中海気候は存在しないと知って愕然)。その溜め池が被害を大きくしたと聞きますと胸が痛みます。瀬戸という地名から連想される言葉が浮かびます。
 谷戸(やと)という私の出身小学校名が結びつきます。全国に数多くある地名です。みなと(湊・港)さと(里)えど(江戸)みと(水戸)やまと(大和、山門、山戸)と連想は続きます。その自然の特徴、地形を表す言葉がと(戸)につながっているのだと「思いつき」ました。そこで、大和は山戸ではないかと。
 中国の史書に登場するのは倭という地域・民族(?)名です。なぜ「わ」と言う名・言葉が史書に記されたのか?私は単純なことと考えます。問われて自分のことを指す「わ」と答えたからだと思っています。当時、自分のことを「わ」と言っていたそうです。今でも自分のことを北東北では「わ」と言う言葉が残っています。今は、我(われ)、私(わたし)と言います。それを文明の進んだ中国は、国名ないしは民族名と受け取ったものと思われます。中華思想で周辺の国・民族名に卑しい文字を当てたと教えられました。
 自分たちは山がちの山戸と考えていたのではないか、後に漢字を当て字として使うようになって卑字、倭を和とし、誇りを持って大を冠として表記を大和とし、言葉として言い慣わされていた「やまと」が重なったのではと考えました。
 妄想に近くなりました。ひらめき、おもいつきの世界にどうぞおいで下さい。