会報誌(DDKだより)
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2018年11月発行 第294号 DDKだより
巻頭:経世済民を考える
沼田 道孝
明治150年をどのように見るか。それを考えるいい機会をいただいた。中小企業家同友会の女性経営者全国交流会が埼玉県で開催され、私は「シブサワスピリットを学ぶ、シブサワスピリットでつなごう未来へ」という特別分科会の講師を担当。渋沢栄一の歴史的な背景や、彼の様々な実績、生きざまを学ぶことができた。
彼は1840年幕末に生まれ、明治、大正を生き抜き、昭和6年(1931年)91歳で没している。みずほ銀行を始め500を超える企業を立ち上げ発展させ、一方で社会福祉や国際的な交流組織、一橋大学や日本女子大などの教育分野など600の施設、教育機関などを設立、支援している。
戦争を繰り返し、好不況がくっきりと出る明治以降の社会の中で、日本の資本主義の父と言われた。経済力の源泉は国民にありとし、民間の産業、企業の育成に努め、私的な蓄財の形成には目もくれなかった。儒教の為政者の心得、「経世済民」を守り、正しい利益こそが企業の判断価値とする行動を示した。だからこそ、リーマンショック以降の金融資本主義、新自由主義の弱肉強食の経済社会に対する一つの対抗の在り方として研究者の発表や労作が現在でも発表されている。
渋沢栄一を学ぶ中で、アジア各国が欧米の植民地化に対して、明治維新により経済力、軍事力を高め、国際的な地位を上げることで、列強と対等な力をつけてきた日本を畏敬し、多くの留学生が学ぶ国になったことを知った。反面、明治維新の薩長の藩閥体制は天皇を中心とした政治を確立し、宗教的な教育を梃に軍事力中心の国家体制を作り上げている。とりわけ日清戦争での勝利と莫大な清国の賠償金は軍事独裁への傾斜を強める結果を作り出す。一方、アジアでの優越的な国力が他の国々への蔑視、選民意識と結びつき、侵略への道を歩み出す。ここに明治維新の別の意味がある。
日本が朝鮮、中国やアジアへの侵略行為を進め、310万人の国民と2000万人に及ぶ悲惨な犠牲者を作り出す原因は、この優越的な国力と選民意識が各国への蔑視と結びついた結果であろう。政治の在り方を考えると、強い者だけが優遇される政治の登場である。
今の政権が、この天皇制や選民意識を強く持っていることは民主主義と一人ひとりの国民を大切にする政治の対極であると理解される。改めて明治維新を考え、政治経済は「経世済民」でありたいと思う。