会報誌(DDKだより)

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2021年09月発行 第328号 DDKだより

巻頭:パラリンピックを通して考える共生社会

河原 八洋

 「健常者と障がい者が共に活かし合える『共生社会』とは、個性をすり潰して混ぜ合わせたミックスジュースでは無く、各々フルーツの良さを生かし合ったフルーツポンチ型を目指すべきだ」。開会式まで48日を切った7月7日にお招きした、JPC・日本パラリンピック委員会・河合純一委員長のまとめの言葉です。「多様性と調和」「未来への承継」を掲げる東京大会の基本理念にぴったりの素晴らしいまとめでした。河合委員長は1975年静岡県に生まれ、生まれつき左目の視力が無く、中学3年時に右目の視力も失いましたが、好きな水泳は続けて来ました。高校は筑波大付属盲学校で本格的に練習に励み、卒業後早大教育学部から大学院へと進まれています。その傍ら、92年のバルセロナから2008年の北京まで5大会連続パラ水泳に出場し、21個のメダルを獲得して、16年には日本人で初めて「パラリンピック殿堂入り」を果たしています。この間の苦難との闘いは、三浦友和、田中好子、船越英一郎らの出演で映画化されています。
 2013年9月、ブエノスアイレスのIOC総会で、2020年オリンピック、パラリンピックの東京招致が決まりました。この時私は東京同友会の代表理事で、障がい者雇用も勧めていた事も有り、開催地東京の中小企業家として、「事業に結びつく何か出来ないものか」と模索していました。まずパラリンピック委員会のトップ鳥原会長を東京ガス本社に訪ね、東京の中小企業に発注出来るものは無いか伺いました。すると大変困惑した表情で、皆さんにお願いしたい事は『大会への応援です』と話されて、委員会事務局、日本財団、東京都庁等と連携を取った活動を提案されました。(この時点では調達等に関しては総てスポンサー企業に配分されて居た様です)
 帰りの電車で、この橋渡しをしてくれた豊島支部の栗田さんと「支援活動」の方針転換を話し合ったのが6年前の事に成ります。当時の競技団体は、水泳や柔道の様に事務局が有って、専従員が居る団体は少なく、日本財団と協力しながら組織作りや事務仕事を手伝う事から始めました。選手を招いての例会も軌道に乗って来て、聖火リレーの応援などを話している頃、コロナの感染が広がり1年延期が発表されました。
 オリンピック選手に比べて、パラ選手の落胆度は小さく「練習時間が増えた」と前向きに捉えた方が多かった事は我々の救いに成りました。選手達は今日大変な状況下に有る事を痛いほど分かっています。開催して貰える事に感謝をして全力を出し、活躍してくれることを期待して居ます。
 頑張れ!!輝け!!日本のパラリンピアン463名!!