会報誌(DDKだより)

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2023年05月発行 第348号 DDKだより

巻頭:DDK60周年に寄せて


石田 仁

 30代半ばまで夢を追い、第一経理経営相談室に入社しました。いずれも故人となられましたが、当時の社長は河野先さん、上司は、亀井賢伍さんと岩井義照さん、お二人は商工中金出身。早期退職し、その個性と特技を活かし第一経理でМ&Aや老人ホームの建設等、スケールの大きい仕事をされていました。私は、経営相談の知識がなく、見兼ねた亀井さんが機工同友会との提携業務に誘ってくれたのがDDKとの出会い。理事会議案や議事録を作り、総会を成功させる。定款変更等、役所との駆け引きも学び、次第に協同組合の仕事を覚えました。理事会の熱のこもった議論、誰一人偉ぶる者はなく、“1人は皆のために、皆は1人のため”が息づく。変化に対応しなければ衰退するのは協同組合も企業と同じ。組合の地区や業種を拡げ機工同友会は第一同友会(DDK)となり、広域の異業種協同組合が誕生(87年)。経営相談室の仕事の傍ら、組合の事業として高速道路別納事業(大口割引制度)に挑戦(89年)。会社年鑑から訪問先を抽出、ダイレクトメールを繰り返し、営業に歩いた日々。売上が増え続け、悪戦苦闘の月末の請求書作りから解放され、外注するようになったのが懐かしい。
 請われDDKに入職したのが97年。北海道拓殖銀行や山種証券が破綻した金融危機。貸し渋りが蔓延し、担保と連帯保証にこだわる融資制度に風穴を空ける必要がありました。既存の協同金融に借り手が少額拠出する連帯防衛積立金を導入し、協同組合の信用で補完する小口の転貸融資を実現(亀井さんがシステムを98年に考案)。理事、税理士、診断士等、仲間が手弁当で審査を担いました。面会を避ける貸出先社長の事務所前に張込みしたり、転々と海岸沿いの無番地まで追っかけ、小切手にサインしてもらったことを思い出します。お貸した金は、皆のお金。少しでも返して欲しいと借り手の情に訴えた。会社が潰れても、そっと返しに来られた社長。多重債務に自ら命を絶った人。事業を通じ、生きた金融を学んだ。
 記念講演や新春、労務・年金セミナーは綿々と続き、共同の精神を繋ぐ。 “中小企業の社員にも研修の機会”を合言葉に、第一経理有志と共に新入社員研修を実施(96~2005)。三浦海岸でのラジオ体操。新入社員に贈る修了の言葉、“疾風に勁草を知る”が蘇る。当時の新入社員から続々社長が誕生しているのが嬉しい。 
 自慢の社員やオリジナル製品等、話したいことがいっぱいあるのに「DDKだよりの取材をしたい」と申し出るとまず遠慮される。皆さんシャイ。でも、話し始めると止まらない。「うちの社員食堂の業者が廃業するけど、どこかやってくれるところはないか」、「就業規則を作って欲しい」等相談や仕事の依頼も多い。
 会員の皆さん!長きにわたりご支援ご指導いただいている関係者の皆さん!これからも変わらぬご協力をお願いします。皆さんにとって共同事業が経営を豊かにし、仕事が仕事を呼び、困った時には助け合える関係。DDKのミッションはこれからも続きます。
 紙面を借り、私を厳しく鍛え、いつも励ましていただいた亀井さんに心からご冥福をお祈りします。(2月13日逝去、91歳)