会報誌(DDKだより)

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2024年05月発行 第360号 DDKだより

巻頭:能登半島地震から4ヵ月


河原 八洋

 1月1日午後4時10分頃、「能登半島輪島付近を震源とする、マグニチュード7の地震がありました」と、伝えるテロップがテレビに流れました。記録ではこの時の震度は7強で、その前後に震度5~6の余震が7回起きています。さらに2月末までの間に、人が感じる揺れは1700回ほど発生。此れらが今回の能登半島群発地震の概要です。隣の珠洲市では昨年5月5日に、震度6強の地震が、一昨年6月19日には震度6弱の地震が発生しています。
 元旦から4月2日までの地震で、人や住居被害は、死者245名、重傷者320名、軽症者980名、建物の全壊8,695棟、半壊18,986棟。被害の多い順では、石川県、新潟県、富山県、福井県の順に成っています。他に今回の地震で目に見える特徴は、海底の隆起です。海岸線の陸側プレートの下に、海側プレートが入り込み、海岸線の多くが隆起したことです。砂浜は隆起した分広く成った事は良いのですが、岩場の岩が海面から上がってしまった為、魚の居場所が減り、海藻や貝は死んでしまいました。一番困っているのは港の漁船で、埠頭に止める深さが取れなくなり接岸できていません。
 能登は焼き物に適した土が沢山出土し、七尾市には昔、七輪を造る工場が多く有りました。又黒光りのする立派な瓦もたくさん製造されていました。瓦は家を建て替える時など、一枚、一枚取り外して、再度新居に使います。立派に焼いて100年以上使える品質と強度に成っています。この種の重い瓦を乗せる柱や梁の計算が出来てなければ、地震の揺れに弱く成ります。
 私が生まれ育った町は、輪島市門前町と言います。700年前に曹洞宗大本山総持寺が建てられ、その門前に栄えてきた街なので、その様に呼ばれて来ました。実家は昔、信徒を泊める旅籠をして居た様です。2007年の能登地震では、木造で大屋根の寺は歪みが出たり、土壁が?離した為、5年程掛けて改修工事をして来ました。今回の地震では、回廊以外目立った損傷は起きていませんが、境内にある当家の菩提寺・芳春院(加賀藩主前田利家の妻・お松の方の位牌堂)は全壊しています。また、残念ながら北陸自動車道や金沢に繋がる道路の破損がひどく、復旧が遅れています。
 そんな中で、東京同友会の事務局は会員に呼び掛けを行い、復旧作業や支援物資の運び込み、義援金の募金等で、精力的に活動していて、地元輪島市からも大変感謝されています。災害過疎地に有っては、大変ありがたい活動に成っています。
 早い復興が望まれます。