会報誌(DDKだより)
DDK Newsletter
2024年11月発行 第366号 DDKだより
巻頭:能登半島地震から10か月(能登報告2)
河原 八洋
1月1日に死者341名、全壊家屋6,273棟の被害を出した『能登半島地震』から、ようやく立ち直りつつあった矢先の9月19日、今度は平年の2か月分と言われる498?の集中豪雨によって、残っていた多くの残材や家屋が流されました。
1月の地震により、倒されたり、傾きながら斜面に残っていた樹木が、大量の雨に流され、川の橋や壁面に引っ掛かって、川水を氾濫させた。線状降水帯の発生やその警告は、事前には無かった様だ。そのため小雨だった早朝から田畑に仕事に出掛けた方も多かった。1時間に120mmの雨が何時間も続いて降り、輪島市が1976年に統計を取り始めて以来の記録的な大雨と成りました。
1月の地震によって、川底が歪んで隆起している処もあり、堤防も弱くなっていた為、濁った川水は、あっと言う間に、道路に浸水して、家々を押し流す結果と成りました。地震の影響で、自宅が使えなくなった多くの方々の為に建てた仮設住宅も1mほど浸水し、新しく入れた家具類も含め、使えなくなってしまいました。
この時点の気象予報では『線状降水帯』等の警報が出ていなかった様です。10時を過ぎ、降り続く雨の勢いを感じたお父さんは、その日は休みで自宅の2階に寝ていた娘さんに携帯電話で、「雨が激しく成って来たので、自宅の安全な所に退避する様に伝えた」そうですが、その後、家ごと流されて9日後に、福井県の沖合で見つかったと聞き、親元に戻れて良かったと思いました。同時に今回の様な、線上降水帯の発生時、もう少し早く、的確な警報を出せないものかと思います。
今回の輪島市の様な、地震で、山崩れが起き、樹木も相当数倒れて、山の斜面が軟弱に成っている中で、川底にも地震の影響が出ています。この様な中では、大雨は大きな被害を引き起こします。能登半島は、地震の復旧も遅れています。ここを早めていれば、こんなに大きな災害に成らなかったのでは無いかと思い残念です。(死亡者14名、行方不明1名)
私の生まれ育った所です。昔と違って人口が減って、寂しい感じもしますが、海有り、山有り、川有りで、人情が厚く、郷土芸能にも恵まれた、とてもいい所です。
3月には友人の栗田さんと2社で門前町に献金をしました。また10月29,30日には池袋でラーメン店を営んでいる娘夫婦による、120食のラーメン提供を、現地に滞在している東京同友会のメンバーにも手伝って貰いました。中学生の孫娘2人も、書初め用紙に『がんばろう能登』と書いて参加してくれました。