会報誌(DDKだより)

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2024年12月発行 第367号 DDKだより

巻頭:半世紀ぶりの発見


石田 仁

 今年のゴールデンウイークに、久しぶりに故郷の瀬戸に帰省。
 すっかり様変わりした駅前の変貌に驚く。何と高層ホテルが建っているのである。瀬戸と言えば神社境内に小さなホテルが一軒あっただけなのに。
 もう一つ驚いたことが。実家から早朝散歩に出掛けた際、少し坂を下り、かつて駄菓子屋があった辻に、道標と書いた案内板と古びた石道標を発見する。その案内板には、『----その辻には四方への行先を記した石製の道標が建てられました。東 あ可つ(赤津)道、南 可まや(窯屋)道、西 せとなごや(瀬戸名古屋)道、北 善光寺道。辻の北西側には、貸車業、馬宿、茶店を営む「角甚」の屋敷があり、かつては祇園祭りで使われた山車が角甚の下倉庫に保管されていたと伝えられています』と書いてある。
 現在は、小さな辻だが、かつては交通の要所。荷馬が行き交い、東が赤津、南が窯屋、西が瀬戸・名古屋、北が善光寺へ至る道。海浜部に近い名古屋からは塩、魚、茶を。県境岐阜の東濃や信州からは、陶器、煙草、紙が運搬された。正式名称は「信州飯田街道」。馬による陸上輸送「中馬」が盛んとなり、信州飯田の人々の農閑期の稼ぎとなった。所説あるが、どうやらこの道を明治以降、『中馬街道』と呼ぶそうだ。私の住んでいた地区には馬宿ができ、小さな宿場町が栄えた。遊んでいた場所が宿場町であったとは。実家は辻から向かって南、道標からわずか数百メートル。
 帰ってからいろいろネットで探索してみた。その辻から50メートル程のところに観音堂がある。街道脇に散在した馬頭観音像を集めて祭っている。当時も色鮮やかに彩色されていたが、暗く、おじいさん、おばあさんが何人も座っていたので、怖くて入れなかったゾーン。いつも見慣れていた国定公園岩屋堂入口の三叉路にたたずむ不思議な石仏群。実は「ニョウライサン」と言う。そんな名称すら知らなかった。地元で有名な酒蔵の入口にある津島神社。1795年建立の市内最古の常夜灯と知った。こんな近場に由緒ある歴史的遺産が残っているとは驚きである。
 岐阜との県境に近い品野。名古屋とは20キロメートル圏内。それでも山奥です。当時は、煙突と煤、窯と陶器の街。今、窯は少なくなった。品野を背に、市の中央を流れる粘土を溶かした土色の瀬戸川は清浄に変身。その脇を走る名古屋と信州を結ぶ瀬戸街道が、塩の道、中馬街道である。
 道標の案内板に、この石の道標は、私の出身中学の玄関前に移設されていたのを文化庁の「歴史の道百選」にちなみ、元の場所に戻されたと記されていた。2020年のこと。
 まさに、私にとって半世紀ぶりの発見。