会報誌(DDKだより)
DDK Newsletter
2025年03月発行 第370号 DDKだより
巻頭:変わりつつある白銀のゲレンデ
齋藤 正広1988年、新社会人になった年にスキーを始めて37年になります。前年に映画『私をスキーに連れてって』が公開され、世は空前のスキーブーム。バブル景気とも重なり、ゲレンデは男女の出会いを求めた若者で溢れかえり、リフト待ち30分などというのは当たり前の時代でした。
私はというと、初めて見た山頂からの雪山の絶景に魅了され、すっかりスキーの虜に。当時のスキー場のトップはほとんどが上級者専用コース。私は “スキー道場”と呼ばれていた新潟の浦佐スキースクールに入門。今だったらパワハラ間違いなしの厳しい指導を受けながら真剣に(?)技術の習得に励みました。
しかし、90年代のバブル崩壊とともに、スキー人口も見る見る減少し、2000万人いたスキー人口は、最近ではスノーボードを合わせても400万人台にまで減ってしまいました。その上、近年は温暖化による小雪(今年は例外)で営業期間が短くなってしまったことも追い打ちとなり、閉鎖するスキー場が相次いでいます。
当初は軟派なスキーヤーが減り、「ゲレンデが空いて思いっきり滑れて天国だなぁ~」などと喜んでいましたが、最近ではそんな暢気なことは言っていられません。硬派スキーヤーで賑わっていた我が浦佐スキー場も、2011年にまさかの閉鎖となってしまいました。
一方で、有名なニセコ以外にも、白馬や野沢温泉、蔵王など再び賑わいを見せているスキー場もあります。主役は外国人です。いずれも、雄大な風景、豊富なパウダースノー、温泉、美味しい飲食店など、外国人を魅了する要素が整っているビッグゲレンデです。白馬にある私の定宿は外国人優先となり、予約がまったく取れません。週末しか来ない日本人よりも、平日から長期滞在して夜は外で食べてくれる外国人の方が経営効率が良いのです。
他にも、敢えて圧雪せず深雪を味わえるということでコアなスキー客が集まる小規模スキー場や、SNSを使って地域の情報も発信して集客に成功しているスキー場もでてきました。
もともと日本にスキー場が多くできたのは、雪国の冬場の雇用確保という目的がありました。地域活性化のためにも、たまには魅力の増した白銀のゲレンデへ出かけてみてはいかがでしょう?まずかったゲレ食(スキー場の食事)も格段に美味しくなっておりますよ?